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宮崎清孝

宮崎清孝

早稲田大学名誉教授。東京都立大学人文学部卒。東京大学大学院教育学研究科中退。大学院で「教育」にいったのは、教育に対する興味というよりは、当時「認知心理学」という学問があるらしい、そのためには東大の教育にいくといい、とある人に言われて。

しかし大学院時代に3つのことに出会います。①教育実践との出会い。吉田章宏教授を通して、斎藤教授学に出会う。実際の授業実践での子どもたちの活動の中に、生き生きした知的、神的活動を見ることができる魅力にとりつかれ、結局一生の仕事に。②現象学。吉田よりは現象学も習う。彼はその当時からそれにのめり込んでいくが、こちらは結局面白いと思えない。現象学を一言でいうと、格式ばかり高い田舎の旧家。方法についてこうせよああせよという話しは多いが、××現象学と称するもので××について面白い洞察を行えているものと出会ったことがない。③認知科学。こちらは(当初は非常勤だった)佐伯胖より。現在の、脳についての怪しい話しが根拠になるつまらない心理学としての認知科学ではなく、後にブルーナーが、人間が意味を作る過程を研究しようとして始まった、と回想した時代の認知科学で、これはわくわくする魅力があった。そんなことで、認知科学的原理を教区実践の具体のなかで探る、という方向性が私のなかで出てきたし、基本続いています。

やがて大妻女子大学家政学部に就職。ここで当時の身体論のはやりと出会い、その授業版の鳥山敏子実践に入れ込みます。しかしこの論文化、研究化は私の能力をはるかに超えていて、行き詰まります。また、当時からはやり始めた「活動理論」も実践研究という観点からすると愚劣なものに思え入り込めませんでした。

大妻に12年間いました。ほぼ「専任講師」で、恵まれていないのをなんとかしてあげよう、という人もいたのでしょう、早稲田大学人間科学部に移ることになりました。しかし内面的にはスランプの時代、つらい時代でした。しかし約10年たったところで、サバティカルにいけることになりました。2003年です。どこに行くか、最初はゴードン・ウェルズを考えました。ところがある学会で打診したところ、なんと断られました。そこでやむを得ず(というのは既に何人もいっていたので新しみがないと感じていたからでしたが)マイケル・コールのLCHCに行くことに。

ところがこれが大当たりでした。LCHCは研究所(それも高名な割に規模としては小さい)なので、その年々でいる人が違います。私がいったときには、私にとっては大当たりでした。決して著名な研究者にはなっていませんが、彼らの視野の広さが私にとって刺激的でした。

こんなことがありました。向こうに行った前半のある日、日本の小学校実践者の絵の実践をソニヤやモニカに見せたのです。彼らは当然、その質の高さに驚いていましたが、それだけではなく、「この背後にどんな教育思想があるのか」と聞いてきました。「ダビドフ?」ともつぶやきました。私はといえば、実践を研究しつつ、もっぱら技術面に焦点化していて、「思想」などとは思いもよらないことでした。ここで私の考えががらっと変わった、というわけでは必ずしもありませんが、徐々に変化していきました。それと同時に、具体的にはソニアの主導でその基に院生だったベスやフィンランドからの院生のアンナ・ライニノが参加してLCHCでのPlayworldsが始まり、私はそれに巻き込まれました。さらに1年間のLCHC滞在を追えるときにはサンディエゴでAERA(アメリカ教育学会)の大会があり、それがきっかけで、ソニアの師匠格のアンナ・シェインと知り合い、やがて彼女の共同研究者のマツゾフとの縁ができ、彼が私が日本の実践について書いたものを高く評価してくれるといったこが起きるようになり、現在に通じる私ができていったのです。

これはアメリカでの話しですが、実のところ日本でも同じ時期に私のみにいくつか変化が生じていたのです。まずいずれも、2002年でした。この年既に他に書いたように私は揖斐幼稚園の実践とで会っていました。これがアメリカでのPlayworldsと響き合うことになります。また同じ年、これは小学校の授業ですが、水戸市立五軒小学校の研究に、同時同校の教員だった綿引弘文先生を通して参加し始め、これが私なりの今に至る教授学”思想“を形作る初期のものとなりました。

この後はもう私にとって現在への続いた道です。とりあえず、自己紹介はここまでにしておきましょう。

渡辺涼子

常葉大学健康プロデュース学部保育健康学科講師。
早稲田大学大学院人間科学研究科健康科学科(教育工学専攻)単位取得後退学・フィンランド国立オウル大学大学院教育学研究科(教育学/教師教育専攻)卒業。

専門は臨床教育学・生涯発達論。大学生時代に宮﨑ゼミに入り、当時の認知科学にあった、「生きることは学ぶこと」「人は生涯をかけて学び続ける」というアイデアに惹かれ、生涯発達的な観点から認知症介護における学び研究に携わる。高齢者施設のフィールドワークを続けるうち、優れた実践(託老所「わすれな草」)や実践者(作業療法士の川口淳一氏)をはじめとする、ユニークな介護者や高齢者の方々に出会い、日本の実践を国際的な研究や実践の枠組で捉え直したいと考え、フィンランド国立オウル大学へ留学する。オウル大学では、ナラティヴ・ラーニングを専門とする故ペンティ・ハッカライネン教授とリサーチグループ(SILMU)で学び、フィンランド国立タンペレ大学のマッティ・ヒュバリネン教授の指導も受けつつ、認知症介護の中で介護者と高齢者が紡ぐナラティヴ(語り)や対話的関係に注目した研究を行う。現在も、生涯発達的な観点からケアにおける対話的関係やPlayworldsの意味、実践者のあり方について検討すると共に、フィンランドや日本の実践者・研究者らと国際的な共同研究を行なっている。

野口紗生

浜松学院大学地域共創学部地域子ども教育学科講師。
早稲田大学人間科学部卒(宮崎ゼミ), 早稲田大学大学院国際情報通信研究科修士過程修了, 博士課程満期退学。博士(国際情報通信学)。
子どもの育ち・学びと日常を取り巻く音との関わり、そこでの保育者ら大人のあり方を研究テーマとしています。
本プロジェクトでは、想像遊びやアート制作、また想像遊びにもとづく歌づくり場面を対象として、子ども、保育者、アーティストの協働のあり方に注目し、そこでの経験の意味や大人のあり方について検討しています。

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